修羅と菩薩2
修羅と菩薩
2、
私自身にも「もうひとりのわたし」がいます
それはどんなひとなのか生きものなのかー
それはひとでありひとではなく私であり私でなく
それらすべてものとしかいえないなにものか
視るだけでなく聴くだけでなく触るだけでなく考えるだけでもなく
それらすべてによって接触するしかないなにものか、なのです
そのとき私はもういつもの私にはまらない私、
世間からも常識からも計り知れないちがう生きものになっている私
故郷に帰ったように懐かしい気持ちになっている私
それでいてマシューボーンの異端の白鳥に憧れている私です
さいきん私が物思いに沈んでるように見えるのは
私がこのとき異世界にいて白鳥への想いに身を焼いているからです
そこは、日常のすぐ隣り、薄い膜一枚で隔てられた向こう側にあります
そこは、視界の向こう側、私たちの生の裏側、
存在のみなもとに一ばんちかいところです
そこにはなにもなくそしてすべてがあり、
たえがたいほどうつくしくおそろしいところです
(続く)
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