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April 26, 2005

修羅と菩薩2

       修羅と菩薩

 2、

私自身にも「もうひとりのわたし」がいます 
それはどんなひとなのか生きものなのかー
それはひとでありひとではなく私であり私でなく
それらすべてものとしかいえないなにものか
視るだけでなく聴くだけでなく触るだけでなく考えるだけでもなく
それらすべてによって接触するしかないなにものか、なのです
そのとき私はもういつもの私にはまらない私、
世間からも常識からも計り知れないちがう生きものになっている私 
故郷に帰ったように懐かしい気持ちになっている私
それでいてマシューボーンの異端の白鳥に憧れている私です 
さいきん私が物思いに沈んでるように見えるのは
私がこのとき異世界にいて白鳥への想いに身を焼いているからです

そこは、日常のすぐ隣り、薄い膜一枚で隔てられた向こう側にあります
そこは、視界の向こう側、私たちの生の裏側、
存在のみなもとに一ばんちかいところです
そこにはなにもなくそしてすべてがあり、
たえがたいほどうつくしくおそろしいところです
(続く)

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April 22, 2005

35、修羅と菩薩(改4/19)

  修羅と菩薩   あらかみさんぞう

1、

さいきん私は、会っている人のとなりに
「もうひとりのひと」がいるのを視るようになりました 
たとえば、目のまえで激しく責任を追求している人のとなりに
「必死に救いを求めている子ども」の姿を視ました 
会話を独占し自己主張している人のとなりに
「自信喪失のうちひしがれた学生」が視えました 
「いや、よして!」と高飛車に言い放った人のとなりにもうひとり
「いやよ、して!」と哀願する女優の声が聴えてきました

もちろんあなたのとなりにも「もうひとりのあなた」が視えます
それはどんなひとなのかーそれは知らない方がいいかもしらない
あなたが当たり前と思っていた常識がぜんぶ崩れてしまいますから
「もうひとりのひと」は人間であるとは限らないから

あるときその人のとなりに胎盤のなかで泳ぐような魚を視ました
やがて変身していく鳥の姿が視えました
あるときはそのひとの隣りに、
どんなに呼んでもそばに近寄ってこない光る目の猫を視ました
そのくせ忘れたころに私の膝の上にちょこんと乗っかっていました、
ジャズピアニストのようなうなり声をあげて海底を這いまわる草履虫を視ました
マシュー・ボーンの白鳥のようにうなじの美しい生きものが降り立ちました 
白くゆらぐように舞う鳥むらのなかに、いつのまにか私も踏み入っていきました

 (続く)


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April 11, 2005

34、こひびとよ

こひびとよ  あらかみさんぞう


こひびとよ
春の草むらが香り立っているではないか

ぼくは答えを待っている
そのときあなたは小さな欠伸をする

ぼくは子供のように抗議する
そのときあなたはふいに忘れていたことを思い出す

自分が誰だったのか
自分が一本の樹であり、湧きあがる雲であり

満ちてくる海であり、泳ぐ鯨であり
天かける鳥であることを思い出す

こひびとよ ぼくもさっき気づいたばかりだ
ぼくは時々ぼくではない、ぼくは何処にもいない

ときどきあなたの海に潜水しているだけだ 
ときどきあなたの草むらでねむっているだけだ


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33、日曜日の庭から

 日曜日の庭から  あらかみさんぞう


藤の花がひらくとき
くまん蜂がやってくる
くまん蜂がやってくるとき
藤の花がひらく

もぐらが穴を掘りはじめると
あなたはくすぐったいと身をよじる
あなたが澄んだ声で笑ったので
もぐらは小さな山から不思議そうに顔を出す

桑の木に新芽が出てきただけなのに
あなたもひよどりも浮き浮きしている
柿の木肌に耳をよせると
樹液の昇っていく音がヨーヨーマの弦の響きのようだ

生まれたての蝶が
大根、ブロッコリーの花々の上を舞っている
あなたもまた人の魂から抜けだして
とんでいる、夢みている

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