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May 25, 2005

SAKURAへ

SAKURAへ  あらかみさんぞう


ミケランジェロはなんの変哲もない石の塊のなかに
ダビデとピエタを見い出した

絵は板のなかに宿っている
私はただ板が言うことに従うだけだ、と棟方志功は言い張る

理論物理学がカオスと見なすものの中に
詩人は秩序をみつける

木の絵山の絵が人を感動させるとしたら
木の命山の命が画家を通して現れたときだけだ

命のやりとり
そこに君の仕事がある

アタマで計算されただけの表現などに力はない
つくられた価値の模倣は細工師の仕事だ

無意識のカオスの奥から届けられたいのちの息吹き
それだけが私たちを激しくゆさぶる

それは論理でも科学でもない 
生の源へ身を投げかける君が受けとる美の贈りものだ  

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こいびと

こいびとよ
春の草むらが香り立っているではないか

ぼくは答えを待っている
そのときあなたは小さな欠伸をする

ぼくは子供のように抗議する
そのときあなたはふいに忘れていたことを思い出す

自分が誰だったのか 
あなたはわきあがる雲 羊水のなかを泳ぐ両生類

あなたは満ちてくる潮 しなやかに熱いからだのけだもの
あなたは流れてゆく川 絶えまなく死んでいくもの生まれてくるもの

こいびとよ ぼくもさっき気づいたばかりだ
自分を消さない限り、あなたには出会えないと

これからときどきぼくはぼくではない
これからときどきぼくは何処にもいない

そのときぼくはあなたの海に潜水しているだろう 
そのときぼくはあなたの空で羽搏いているだろう

そのときぼくはあなたの草むらで死に
そして生まれているだろう

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もし


もし、ぼくらが、
誕生の記憶に縛られていなかったら
不安や恐れや孤独を知らなかったら

自分という眼鏡を外して、
曇りない視線で世界を見ることができたら
この星に初めてやってきた宇宙人だったら

目の前にいるあなたの
不思議さ、美しさに気づいただろうか
かなしさ、醜くさに踏み迷うことはなかっただろうか

刻々に死に
それによって刻々に生まれている
生きものへの驚きと共感に満たされて生きただろうか

ひとつひとつの
奇蹟のような出会いの行方を
生きてる限り味わい尽くそうなんて考えただろうか

物質的利益や精神的価値よりも
生の跳躍の一瞬に己を捧げようとして、その結果
愚行の上に愚行を重ねるようなこともなくなるのだろうか

この世の切なさ美しさを知ることのできるのは
この世の現実を背負っている
ぼくらだけではないだろうか

この世の美しさと悲しさを背負っているぼくらだけが
人の弱さも、醜さも、悲しさも知りながら許し合い
ともに演じ切ることができるのではないだろうか

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このとき

きのう気づかなかった
小さな雑草の花が咲いただけなのに
どうしてこんなに嬉しくなるのだろう

夜のうちにつくられた
もぐらの山の柔らかな感触が
どうして足の裏を心地よくするのだろう

堆肥の藁の下にカブトの幼虫をみつけたら
きみはきっと子供のような
声をあげるだろう

生の無数の死体の上に
どうしてこんなに清らかな緑が芽生えるのだろう
鮮やかな紅色の花になって咲き誇ることができるのだろう

やがて丘のうなじの上の
白い雲の上のあの青の深みに
ぼくは吸い寄せられていくだろう

春、このとき
ぼくは自分を開けっ放しにして
満ちてくるものを受けとるだけだ

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日曜日の庭から2

藤の花が開くと、クマンバチがやって来た
冬眠から目覚めたカナヘビが
羽化したばかりのシジミタテハ蝶を襲った
銜えられた蝶の足は宙をけったが次の瞬間あっさりと呑みこまれた

ゆうべ土竜が掘った穴だと耳打ちすると
あなたはくすぐったいと身をよじって笑った
そのとき向日葵の種子を啄んでいた鶸たちが驚いて
いっせいに飛び立った

桑の木に新芽が出てきただけなのに
あなたも鵯鳥もなんだか浮き浮きしてしまう
柿の木肌に耳をよせると
樹液の昇ってくる音がヨーヨーマの弦の響きのようだ

大根とブロッコリーの残りの花々の上を
黒揚羽とならんで何かが、舞うように飛び回っている 
身体から抜け出したあなたが
夢みながら、飛んでいるのだ


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